冒険彗星

文句ばっかり書くけど俺は悪くねえ、糞害悪オタクに書けって言われたんだ

このエピソードがいいぞ2019(2019限定ではない)

最近はHuluで映画やらアニメやらを観ているのですが、アニメを観てる中で色々感想を言いたいと思うことが多くて、でもTwitterで言うとなんかその場のノリでテキトーに言えちゃいそうな感じがするのでブログにきちんとある程度考えて文章を書くことにしました。順番は適当です。

 

1.ヤマノススメサードシーズン10話『すれ違う季節』

 良いエピソードが数多く存在するヤマノススメサードシーズンからは10話を選択。2話や4話についても語りたいのだが、10話の完成度が高すぎてどれか1話を選ぶなら、といわれたらこの話数しかない。サードシーズンの特徴はメインとなる話の軸が「あおいとひなたの関係」だったこと。それを象徴する1話だと感じる。内向的なあおいを登山へと連れ出すひなた。この関係性がいい意味で崩れたことがサードシーズンの結末だが、そこにつながるまでの小さなひずみを積み重ねていって、露わになったのがこの10話。友達が少ないあおいを心配しつつ、どこかで自分からは離れていかないと安心していたひなたを焦らせる。あまり知らない人は『リズと青い鳥』のみぞれとのぞみをイメージしてもらえれば。必要以上にセリフで語らせずに、またセリフでも直接的には言葉にせず心の機微を描ききるとんでもない演出力。夕陽にてらされるあおい達とその背後であおいに話しかけられず陰に立ち尽くすひなた。そしてひなたの前には赤い看板、あおい達の前には緑の看板。決して劇的な出来事ではないのに、確実にどこか心に波を立てる、思春期のど真ん中の女子高生のすれ違いを描いたすばらしい1話。コンテ演出のちなさんは弱冠23歳。高校生の時にアニデレでアニメーターデビューというとんでもない経歴の持ち主。これからバリバリに名エピソードを作ってくれると思うと楽しみで仕方がない。

 

2.StarDriver 輝きのタクト12話『ガラス越しのキス』

 メカ作監:鹿間貴裕

 青春の謳歌をテーマに掲げるこの作品において1番健気にそれを達成しようとしてる若奥様のカナコの話。フランスの資産家と結婚したカナコは「一般的な高校生」というのがわからず、ガラス越しのキスとかいうよくわからんものを青春の謳歌だと思ってやってるってことが分かる。ここでカナコに対して、これまでのセクシーさであったり、大人っぽさという面とは真反対の、まっとうな少女性、かわいらしさみたいなものを感じられる。

 12話の見所はなんといっても戦闘シーン。上に書いたメカ作監の鹿間貴裕さんによる圧巻のアニメート。リングの端に叩きつけられるタウバーンを追うように大胆に動くカメラワーク、タメツメの効いた動きにメリハリの利いたタウバーンの影やエフェクト。とどめにベトレーダにブチ空けた穴からのぞくタウバーン。最高。

 StarDriverは全編通して作画が高水準で、他にもたくさん紹介したい話数があるのだけど、特に12話のアクションが大好きなのでこの話。

 余談。タウバーンは二刀流で戦うのだけど、剣を抜くバンクをそれぞれ別のアニメーターが担当してて、片方は普通なのにもう一方は新井淳というアニメーターの方の担当で、クセがバリッバリに出ててなんか面白い。

 

3.キズナイーバー7話『七分の一の痛みと、そのまた七倍の正体に触れる戦い』

キズナイーバーという作品で、主人公グループの中で勝平の次に深く掘り下げられた牧穂乃果の物語。無表情を貫く彼女の過去には、「シャルルドマッキング」のペンネームで親友と2人でマンガを描いていたことと、その親友の死があった。穂乃果はその親友、瑠々の死の前に、彼女の言葉や、気持ちが分からないことに怯えて彼女から逃げてしまった。しかし、その逃亡は間違いであったのか、ということはわからない。少なくともその時点では穂乃果の心は守ることが出来たから。それ以降、彼女は人との関わりを避け、無表情で生きてきた。そうなると、一時は傷つくことを避けられた心は、はけ口を失って内側に吐き出せない感情だけが積もって、それがこの7話につながる。元編集者に「シャルルドマッキング」と呼ばれてトラウマを再発し、部屋に閉じこもる穂乃果。瑠々から逃げた後ろめたさを真正面から突きつける出来事。降り出す雨。傘をさして外に出る。外に出てくるのを待っていた由多から瑠々の気持ちを教えられる。瑠々が1人で描いたマンガの最終話の手紙、

「私を覚えていることで あなたが辛くなるのなら いつでも忘れて欲しい あなたの笑顔が好きだから」。

ここで瑠々は穂乃果に気持ちを伝えることができた。同時に瑠々が抱えていたのは恨みや呪いなんかではないということを穂乃果は知る。

 キズナイーバーの面白いところは「人は他人と完全にわかり合うことはできない」「けれど、だからこそ分かろうと努力して、そして必ず交わる点もある」っていうコンセプトだと思う。このエピソードはそのコンセプトを体現したようなエピソードで、主人公グループの新山仁子(かわいい)も「牧さんの気持ちは牧さんのもの」っていうセリフがあるんですよね。穂乃果の本心は本人以外、もしかしたら本人でさえも、完全に理解することはできないけど、同時に、雨の降る夜に海に飛び込めと言ったら本当に飛び込んでしまう他の6人の気持ちもわからない。だから言葉や表情で表現して、伝わったら少しうれしい。まだ友達ではないけれど、気持ちを伝え合うキズナイーバーでいいんじゃないか、と穂乃果は前に進めた。自分の心を蝕むと思っていた雨は、傘をさすのをやめてみたら、自分を縛る呪いを洗い流すものだった。だから、最終回でキズナシステムに縛られている法子に対しての穂乃果のセリフにつながる。

 このエピソードはBパートからの音響が本当に素晴らしくて、特に穂乃果のメガネに滴が落ちる音がとても綺麗なんですよね。アニメでは雨は不穏なことの象徴のように演出で使われることが多いのですが(実際次の8話ではドギツクソ重エピソードで雨ザアザアだった)、この話数ではそんなことはなくて、音楽もどこか希望を感じさせるものになっています。そういったところも注目する点ですね。大好きです。

五十嵐海さんの名前を知ったのもこの話数に関するすしおさんのツイートがきっかけなのでその点でも私に対する影響は大きいです。

 

4.Fate/Apocrypha 22話『再会と別離』

 このエピソードを語らずしては終われまいよ。2017年最後にぶち込んできた、衝撃度でいうならここ数年でトップの話。Twitterでさんざん関係者が今回はすごいって言い続けてたからハードル上げてたら本編は大気圏突破していった、みたいな。この話数に関しては正直観てもらわなきゃぜっっっったいに分からない魅力ってのがあるから言葉で語るのは野暮だろうから、簡単な説明だけにしておくと、近年勢いのある若手アニメーターと、アニメ界へ大きな影響をもたらしたベテランアニメーターが共演した結果、最高の化学反応を起こした。コンテ演出の伍柏諭さんがあえてコンテの情報量を削ることでアニメーター達に表現の自由度を持たせて、アニメーター達の発想を尊重したことにより、アニメ自体は破壊せずに、それでいて優等生的なうまさだけでなく、「強さ」のあるアニメーションになったと思う。ネット上では賛否両論だったみたいだけど。

 

 これは愚痴になってしまうんだけど、あんまり作品だったりCPを語る時には「尊い」とか「神」とか、「作画崩壊」とか、あんまり使いたくない。感情が先に出ているようで、「それしか言葉が出てこない」ことにしてうやむやにしてしまっているように感じるから。幅が広すぎるんですよね、言葉自体の。「尊い」って言った時に、具体的にどういうこと?って聞かれたら答えられるのかな。そういう風に考えてると、「作画崩壊」って言葉はあまりに便利すぎると思う。近年だと「万策尽きた」もだね。考えた人は悪くないのだけど、使う側は、その対象を深く考えずに使っているように感じる。

 

 「けものフレンズ2」も似たような感想なんですよね。観た人の多くが「つまらなかった」とか「クソ」とか「ゴミ」とか。それって感想であって作品の評価ではないんですよね。そもそもけものフレンズ2はどうしてもフラットな視点から観ることは難しいだろうし、元々のファンに正しい評価が認知されることはないだろうね(正しい評価というのは、今の評価が間違っている、というわけではない)。

 

 話がそれた。この話数の詳しいことが知りたい人は月刊MdN2018年10月号を買おう。多くの部分に携わった人たちのインタビューがみられるよ。ついで?にヤマノススメサードシーズン10話のコンテ演出を担当したちなさんのインタビューもみられる。ここでは2話の1人演出作画の話だけど。MdNはアニメ雑誌ではないのだけど、アニメ雑誌なんかよりよっぽどアニメ演出や作画、撮影のことに関して掘り下げてくれる。アニメが好きなら読んで損はないと思う。

 

 

 こんなところかな。まあ実際他にもたくさん語りたいことはあるのだけれど、疲れたのでこの辺で。みんなももっと字数を尽くして語ってくれ。俺はレビュー記事が大好きなんだ。